TEAMS

ariesロゴ

エリース全体のチームもこの10年間で大きく変化した。1984年にFCのOBを中心として設立した30'S(のちのDX、現CL)、そして20代から60代まで年齢にかかわらず一緒にプレーを楽しむGCのほか、40歳以上のOBを再集結して2013年にシニア40、2014年シニア50、2015年シニア60と各年代のチームを設立し、生涯現役プレーヤーとしてサッカーができるクラブとなった。

また、2017年には、NPOベアーズの協力のもと中学生年代のジュニアユースを設立し、次世代のエリースを担うプレーヤーの育成が始まった。

FC

FC

aries TOKYO FC

CL

CL

aries TOKYO CLASSIC

GC

GC

aries TOKYO GOLD CARD

40

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aries TOKYO SENIOR 40

50

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aries TOKYO SENIOR 50

60

60

aries TOKYO SENIOR 60

JY

JY

aries TOKYO JUNIOR YOUTH

50年の軌跡

Why choose Us?

1970年代

1970年初秋、大学進学を控えた立教高校サッカー部のメンバーが、「楽しくて、強くて、カッコいいサッカーチームを作ろう」という想いを胸に、エリース創設者である日大芸術学部の呉正恭先生の下に集まり、自分たちの理想のチームを結成。公式戦が4月から始まることから、その月の星座の名前から、チーム名をエリース(ARIES/アリエス=おひつじ座)と命名。

Why choose Us?

1980年代

早慶、筑波、中央など、関東大学リーグ出身者を中心に、数多くの優秀な選手が入会。人格面も兼ね備えたメンバーであったことから、後輩も後を追うようにエリースに入会。こうした経緯が、今に至る心・技・体を備えたエリースらしさの源流を構築。チーム結成19年目にして、創設以来の悲願であった東京都社会人一部で初優勝を達成。

Why choose Us?

1990年代

80年代後半から築き上げたチームの勢いそのままに、1988年~1994年までの7年間で優勝4回、準優勝2回の実績を残す。“エリース黄金期”ともいえるこの時代、1992年には国体東京代表チームとして、山形国体本大会(成年の部)でも優勝。1995年よりチーム名をエリースFCからエリースFC東京に変更。

Why choose Us?

2000年代

1992年国体チームをベースとして、1993年から本格的に関東昇格にチャレンジ。2年目の1994年に関東大会にて優勝昇格を果たす。1995年から関東リーグ参戦、2006年に東京都リーグ降格の地獄を見たが、1年で返り咲き、2008年~2010は関東二部リーグにて活動。(関東リーグは一部10チームから、2003年に関東一部・二部に分割し8チーム合計16チームとなった。)

Why choose Us?

2010年代

2011年関東リーグ二部準優勝、2012年関東リーグ一部準優勝を手中にする(当時優勝チームは現在J3のSC相模原)。2012年よりチーム数は、一部二部とも10チームに増えて現在に至っている。当時のエリースは第二期黄金時代と呼ばれるほどに戦力は充実していた。 2013年は東京チャンピオンシップにも優勝している。2018年にクラブチーム名をエリースFC東京からエリース東京に変更。

Why choose Us?

2019年

2019は12年ぶりに関東二部リーグから降格し、チーム名をエリース東京FCとして再スタートした。東京都一部リーグで優勝し、続く関東大会へ進んだもののあと一歩届かずベスト4で敗退。一年での関東二部復帰は叶わなかった。

祝辞

サンフレッチェ広島 監督

城福 浩

エリースフットボールクラブ創立50周年おめでとうございます。 多種多様な職業、サッカーにかかわる背景、そして世代の違いという組織を維持していくには簡単ではないクラブを半世紀にわたって維持させ且つ発展させて来ることが出来たのは、ひとえに皆様のサッカーに対する情熱とクラブへの愛着があってこそ、と改めて頭が下がる思いです。

Jリーグ終盤、最終節までひとつも負けられないという日々を送っている時、小宮さんから「50周年の記念冊子を作りたい、何か書いて貰えないか」というご依頼をいただきました。それをご存じの上で提出期限を明記した決して断れない依頼状が届き、たちまち仕事が出来る強引な手法に屈しました。冗談はさておき、エリースの一員として扱っていただいた小宮さんに感謝しかありません。

2016年シーズン半ばに監督業を解任になり世の中から埋没した5か月間を過ごしていた中で友人の大塚幸司が2017年1月のエリース初蹴りに誘ってくれました。行ってもいいかな、行こうかな、と思わせてくれたエリースの存在。純粋にサッカーが大好きな仲間、リスペクトに溢れている大人の集団...その空気に触れてみたいと思った自分がいました。世の中に居場所が全くなくなったわけではない、と自分勝手ではありますが救われた思いになった事を昨日のように覚えています。
エリースフットボールクラブの益々のご発展、クラブを支える皆様の充実したサッカーライフ、その土台となるご健康を心よりお祈りしております。

公益財団法人 日本サッカー協会 会長 田嶋 幸三
公益財団法人 日本サッカー協会 会長

田嶋 幸三

NPO法人エリースフットボールクラブ(エリースFC)創立50周年、誠におめでとうございます。
エリースFCとの出会いは、私が1988年当時、立教大学体育会サッカー部のコーチに就任して2、3年目、OBの小宮敏裕氏とお会いしたことがきっかけでした。2010年の創立40周年記念の冊子を制作する際にも小宮氏と対談をさせていただき、そのときに「サッカーをやっていた人たちが年齢を重ねてもボールを蹴り続けることのできる環境を日本サッカー協会として整備していきたい」と話したことを覚えています。

現在のエリースFCは、東京都サッカー協会に所属しています。また、40歳代から60歳代までのシニアチームを創設されるなど、まさに東京都の模範となるようなクラブチームを形成してくださっています。これは大変素晴らしいことで、50年間にわたりクラブを育てご尽力くださった皆様に心より御礼申し上げます。

40周年のときにお約束した「将来エリースFCでボールを蹴る」のは、まだ少し先になるかもしれませんが、その日が来ることを楽しみにしております。
50周年に際し、サッカーを愛するエリースFCの益々のご発展と、皆様がさらにサッカーを楽しみ、サッカーを通じた豊かなスポーツ文化の創造を進めていただけることを祈念しております。

令和2年1月5日

琉球フットボールクラブ(株)副社長 廣﨑 圭
琉球フットボールクラブ(株)副社長

廣﨑 圭

エリース50周年に寄せて

エリース関係者の皆様、50周年おめでとうございます。
私はエリースが立教OBの皆様によって設立された1970年に生まれ、Jリーグ元年であった1993年春にエリースに入会しました。

プロ選手になる夢が叶わず、大学の先輩に声を掛けていただいて加入した東京都1部リーグの社会人チーム、正直チームのレベルに不安を抱きながらの参加でしたが、チーム内のプレーレベルは関東大学リーグ1部にも引けを取らないものであったこと、当時監督としてチームをまとめていた小宮さんの情熱と存在感、入会数年後から参加させていただいたクラブ理事会での厳正ながらもクラブ愛に満ちた会議でお会いしたクラブ幹部の皆様の一体感、トップ7年間・シニア4年間の在籍中ともにプレーした様々な経歴・職業を持ちながら集まった百数十名のチームメイト、本当に多くの要因があって私自身の生涯最高のクラブとなっています。

一昨年暮れよりJ2 FC琉球の強化部責任者に着任しましたが、今でも判断のベースはエリース時代に植え付けられた一社会人としての生活を前提として好きなサッカーに取り組む姿勢であり、試合の勝ち負けで味わう歓喜と悔しさも関東社会人リーグで凌ぎを削った当時と同等です。

今後もトップチームからシニア60まで全チームで、呉さんから授かった『Enjoy! エリース』のクラブスローガンを体現するエリースらしいFootball Lifeを期待します。
※自分のゴール以外の生涯最高のゴールは、エリース加入2年目の関東選手権準決勝で関東リーグ昇格を決めたチェ窪田選手の弾丸ドライブシュートです。

NPO法人 エリースフットボールクラブ 代表 小宮 敏裕
NPO法人 エリースフットボールクラブ 代表

小宮 敏裕

エリースFC創立50周年を向かえるにあたって

NPO法人エリースフットボールクラブ代表の小宮敏裕でございます。エリースフットボールクラブは1970年私立立教高等学校卒業生を中心に、「強くて、かっこいいチーム」をスローガンとして活動を始めました。1971年東京都社会人リーグに登録する時点で4月であったことから、そのチーム名を「牡羊座(4月星座:ARIES)」と呼称したのだと、故呉正恭先生(日本芸術大学教授)からお聞きしたのが遠い記憶として残っております。

まさか?その草チームがNPO法人になり、50年間も継続してクラブライフを楽しめるとは、当時夢にも思いませんでした。呉先生は設立当時からクラブ規程を作り上げ、年一度の総会は実績報告と会計報告をしっかりと私ども若造に指導していただいたことが今でも思い出されます。人の和を大事にして、組織構造の確立と行動規範の徹底。そういったマネジメントが今のエリースを支える根底の考えとして、私どもは受け継いできました。

当初は1チームであったクラブは今やジュニアユースを含めると7チームの大所帯となってまいりました。企業でもありがちな、膨張した組織構成には必ず弊害が出てまいります。50年間懸命に走り続けてきた当クラブも今後の10年間、再度初心に戻っての見直しの時期がきたものと確信しております。どうか、皆さまにおかれましては、今後とも益々のご指導とご鞭撻をお願いするとともに、新しいエリースの活動とメンバーの活躍を期待していただきたく思います。本日は50周年記念式典にお越しいただき誠にありがとうございました。

令和2年1月5日

OBからのメッセージ

奥村 幹夫

奥村 幹夫

エリース 創立50周年 祝辞

創立50周年、誠におめでとうございます。

特定のスポンサーを持たず、特定の地域や大学等に依存せずに50年間、半世紀にわたりクラブを発展させてこられた方々のご尽力に敬意を表します。

この50年の間に日本ではサッカーのプロ化が進み、従来からの学校スポーツに加えて、Jリーグを頂点とするクラブ化が各地域で進みました。その中でエリースは真にサッカーを愛する人が集まり、自律と規律に基づいたクラブ運営を通じて日本サッカー界にその存在感を示してきました。サッカーをすることだけでなく、クラブ運営を自ら行い、生涯サッカーを愛する人にその場を提供し続けるエリースは今後も日本サッカー界に大きな役割を果たしていくものと思います。

50年後、100周年をみんなで祝えるようエリースに関わる全ての方のご健勝を祈念し、お祝いのメッセージとさせて頂きます。

田中 毅

田中 毅

エリース 創立50周年 祝辞

2003年に小宮さんにお会いし、スタッフとして加入しました。

夢の島での奇跡の逆転残留、都リーグ降格から1年で関東復帰と昨日のことのように思い出されます。
今でもグラウンド探しや選手証を忘れる夢で飛び起きることがあるほどです(笑)
これからも「強くて楽しい」エリースがますます発展していくことを祈念しております。

早川 寛

早川 寛

エリース 創立50周年 祝辞

エリースFCに関わる全ての皆様、クラブ創立50周年おめでとうございます。エリースが、終わろうとしていた私のサッカー人生に光を与えてくれました。大変感謝しております。次の50年、100年とさらにクラブが発展するよう微力ながら応援します。

50周年記念メッセージ動画